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 ゆらりと虎徹が纏っていた空気が切り替わった瞬間を見てしまいイワンは言葉を失う。
 湧き上がる怒りの感情の中に殺気立った気配を感じたからだ。
 さらに、いまにも牙を剥き咆哮で空気を震わせたい感情を無理やり抑えこむように、飲み込むようにぐっと強く拳を握り締めることでやり過ごそうとしていたから。

 今回の仕事内容は虎徹の娘よりも二、三歳下の少女だった。
 自分が置かれた状況を誰よりも理解するとても敏い、それでいて悲しみを内に秘めた子だった。
 なによりも周りの大人に心を許せる相手が亡くなり居なくなってしまったのも拍車をかけたのだろう。
 面通しとして少女に会った時の表情は能面のようであり、また眼差しは冷たく全てを拒絶していた。
 いや拒絶していたというのは正しくない。ただ少女はそうすることでしか自分自身を守れなかったのだから。

「――助けるぞ、折紙」
「はいっ!」

 虎徹から放たれた言葉は普段よりは固く、けれど強い意思を持ったものに戻っておりイワンは安堵する。
 同時に先ほどの殺気にも似た気配が消え去ったことにこっそりと驚き、大人になるということはこういうことなのか――とイワンは思った。
 いま、成すべきことの為に己すら押し殺すことは容易ではないことをイワンは知っているからだ。

 虎の名を有する虎徹と並走しながらイワンは彼に対して舌を巻く。
 要所要所で敵の有無を確認しながら虎徹からイワンへの指示は全て無言でやり取りされていた。
 もちろんそれらの無言のやり取りは事前に虎徹からレクチャーを受けている。
 でなければ多少の意思の疎通は出来ていても緊急時では判断一つで大惨事を引き起こしてしまうため、虎徹とそしてアントニオの二人がかりで叩きこまれた。

 また走っている最中でさえ虎徹の足音はほとんどしなかった。
 イワンとて潜入捜査を受け持つことが多くなった今では足音を出来るだけ小さく出来るようにはなった。
 しかしそのイワンよりも隣で走る虎徹の音は小さく、またそれが虎が獲物を狩るために近寄っていくようにも見えた。
 こっそりと忍者みたいだとイワンが不謹慎ながらも思い喜んでしまったのは致し方ないだろう。
 そしてそんなイワンの心境に気がついたの、ふっと虎徹の表情が綻び階段の手前で立ち止まった。

「折紙?」
「いえ……」
「どうした?」

 普段と同じようにくしゃりと虎徹がイワンの頭を撫でる。
 いつもと変わらない仕草の意味に、イワンは意を決して言葉を口にした。

「その、拙者のせいで申し訳ないでござるよ」
「そんなん気にしなくていいんだよ。ちゃんとあいつは分かってたから」

 今度は両手でわしゃわしゃと髪の毛を弄られる。
 恋人にされるのとは違う、けれど確かにその手からは確実にイワンに安心感を与えてくれた。
 だからか不意にイワンは素に戻り、つい言葉を漏らしてしまった。

「でも本当はタイガーさんバーナビーさんと一緒に行動したかったんじゃないですか?
 なのに僕のせいで別々に行動する羽目になっちゃったし、今だって……」
 ぐっとイワンは己の手を握り締める。
 本当ならいまこんなことを言っている暇すら無いはずなのに、それでもついイワンは虎徹に甘えてしまう。
 この仕事を引き受けることを伝えたとき恋人からイワンは「あいつをよく見ておけ」の言われた。
 その言葉に隠された意味は護衛をこなすことで見えてきた。同時に甘やかされているのだということにも。

「なぁ折紙。バニーがいま一緒に居るのは誰だ?」
「……バイソンさんです」

 ぽんっと頭に手に置かれたまま、嬉しそうに笑う虎徹を見てイワンは自分の変化に気がついた。
 先ほどまで緊張で震えていた指先には熱が戻り、焦っていた気持ちは小さくなって虎徹の表情をまじまじと見ることが出来る程度には余裕がうまれていた。

「バニーだけだったらすんげー心配してたよ? あいつなんだかんだ言って結構激情型だからなぁ。
 けど護衛に関しちゃ俺よりも上のバイソンが一緒なんだ。心配する必要すらないさ」

 肩をすくめながらわざとらしくふざけウインクする虎徹にイワンは純粋に凄いな、と思うと共に目指す頂が遠いことを改めて知る。
 緊急を要する出来事が待ち構えているというのにも関わらず虎徹の眼差しは酷く優しくイワンを労る。
 それはイワンの恋人であるアントニオがときおり見せる眼差しに酷く似ていた。
 信頼と、お前なら出来る。大丈夫だ――という気持ちが込めれれたものだったから。
 同じ場所に向かっているであろう、今は近くに居ない恋人の顔を思い出しイワンはふわりと笑った。
 そして虎徹よりも先に言葉を発した。――行きましょう、と力強く。

 ――― ◆ ――― ◆ ――― ◆ ―――

 重い鋼鉄の扉を開けた瞬間、隙間から入り込んできた空気が虎徹とイワンの二人に襲いかかる。
 虎徹は動じずに、イワンは少しだけよろけながらも身を立て直してからヘリポートのある屋上へと足を踏み入れた。
 吹き荒む風に目を細めながら視界にヘリへと乗り込む犯人が二人の目に映り込む。
 ちっと舌打ちをした虎徹はぼそりとイワンへ一つの指示を送り、イワンはその提案に分かったでござるよ――と答え実行する。

 ヘリへと近づこうとした瞬間、反対側の扉からアントニオとバーナビーが現れ視線がぶつかり合う。
 扉すら閉めないままヘリは慌ただしく飛び立った。助けに来た四人を嘲るように。
 瞬間、虎徹は咆え――走りだした。先ほどまでヘリが止まっていた場所へと。

「――バイソンっ!」
「おうよっ!」

 虎徹達よりもヘリポートに近い扉から出てきたアントニオは動き出し虎徹よりも先にそのポイントへと辿り着いた。
 ヘリを見上げたあと一瞬だけ辺りを伺いなにかを確認した瞬間、アントニオは両足を開き腰を落とす。
 そして駆け込んできた虎徹がアントニオめがけて飛びついた瞬間――虎徹は高く高く舞い上がった。
 絶妙なバランス感覚を保ちながら虎徹はヘリの内部へとワイヤーを発射させ、その勢いのまま頭からヘリへと突っ込んで。

 アントニオに少し遅れて走ってきたバーナビーは虎徹とアントニオの二人の動作を間近で見て唖然とした。
 足を大きく開き、腰を落としたアントニオは己の両手の指を交差しながら組み、その組まれた手へ虎徹は飛び込んだのだ。
 そしてアントニオは発射台の代わりとして全身の筋肉を使い虎徹を空中高くへと放り投げた。
 阿吽の呼吸とも言える一連の動作に互いの信頼関係をまざまざと見せつけられた気がしたバーナビーは胸を焦がす。
 今の自分は虎徹の掛け声だけであそこまで的確に判断が下せるのだろうか、という不安と長年培ってきた彼らの絆への嫉妬がバーナビーから言葉を失わせた。
 強く、きつく握りしめた拳は痛みすら感じずバーナビーは舌打ちしたくなる。

「あぁ……無事に人質と犯人を確保出来たようだな」
「みたいですね……」
「言っとくがな、あれが出来る様になるまで何十回何百回と練習したんだぞ?」

 バーナビーの心を見透かすようにアントニオはにやりと笑いながら話しかけてきた。
 だから焦んなよ――と言葉にされなかったメッセージを受け取り、バーナビーはえぇと頷いた。

「でも頭から突っ込んでよく無事でしたね」
「まぁ仕方ないだろう。折紙が左腕のリストバンドに擬態してたし」
「えっ? あ、ほんとだ。折紙先輩がヘリ操縦してる」
「虎徹もなぁヘリの操縦訓練受けてるから出来るっちゃー出来るんだが……」
「――っ!?」
「すんげー意外だろ?」
「はい。出来ないと思ってました」
「ヒーローになるなら一つでも多く出来ることを増やしたいんだ――ってな」
「なるほど。虎徹さんらしいですね」

 バーナビーの気配が和らいだのに気がついたアントニオは笑みを深くする。
 少しだけ後日が怖いな、と思いながら。 虎徹のワイヤーとイワンが隠し持っていた武器によりヘリに居た犯人達はあっけなく降参した。
 少女を人質にとっていた犯人は持っていた拳銃を虎徹に突きつけた瞬間、手首の関節と顎を外されワイヤーでぐるぐる巻きにされる。
 操縦席に座っていた犯人の二人は擬態を解いたイワンが躊躇するなよ――という虎徹の言いつけ通りポインポイントで頸動脈に細長い暗器を突きつけることで動きを封じ、虎徹がワイヤーで縛り上げている間にヘリの操縦を請け負った。

 屋上で吹き荒れる風がアントニオとバーナビーの髪の毛を乱してゆく。
 そして降りてくるヘリを見上げながら二人はヘリから十分な距離を保つためにその場所から移動した。
 目を細めアントニオは操縦しているイワンを、バーナビーは開けっ放しの扉から見える虎徹の笑顔を見上げながら。
 しかし少女を抱き上げたままヘリから降りてきた虎徹を見た瞬間、バーナビーの額に青筋が出来たのをアントニオは見逃さなかった。
 もっとも触らぬ神に祟りなし――の言葉通り見なかったことにして駆け寄ってきた恋人を抱きしめた。


   ――― END ―――
【 初出:2011/11/29−pixiv『 AAV 』より 】